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「僕と同じギター使ってる人だよね」
「ハイ、全て真似させてもらってます」
・・・尊敬し、憧れ続け、いつも数段上を突っ走る
その背中を追い続けて20年・・・。
ひとつの夢が昨夜、叶った。
そう、あのササキカズヤさんと夢の対談がついに実現!

リッケンをかき鳴らす、あの手と握手。
ツーショット写真。
・・・”今、生きてる”って実感が胸いっぱいにこみあげて
うまくしゃべれなかった(笑)。

「僕なんか普通の人だよ」
・・・イヤ、イヤ、俺の中では世界一のロッカーなんです。
「もう、20年になるか、そろそろヤメようか(笑)」
・・・イヤ、イヤ、ずっとずっと歌い続けて下さい。

氏の存在に出会うことなかったら、俺はとっくに音楽を挫折していたことだろう。
商売の独立も、音楽との両立も果たせなかったであろう。
が、しかし、今現在、地味ながら俺も歌い続けている。
・・・どれだけ、ササキカズヤと云う”うたうたい”が、
中途半端だった田舎の少年の走る道に光を照らしてくれただろう・・・。

約2年振りに体感。ジニーのライブ。
ウジウジと曇った俺の心に、ズバッと、スルドイ魂が突き刺す!
ロックン・ロールは素敵だ。
ロックン・ロールはイカシテル!
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とにかく熱くこみあげる気持ちが止まらない。

せっかくの休日、地元でダラダラ呑んで終わるなら、
ロックン・ロールで心踊ろう!と、列車に飛び乗り、
ジニーの歌に出てくる、”昭和通り”を風に吹かれて歩き(笑)、
カズヤさんになりきったところで(笑)、向かうは、新宿クラブドクター!
カズヤさんに会わせてくれたドクターのスタッフの方に感謝。
2番目にロックン・ロールを転がした、横浜の3ピース・”The Waits"もイカシテました!
そして、ジニーの転がすロックン・ロール!一瞬でも日々のつらさを吹き飛ばし、
心からロックした熱い一夜。
カズヤさん、ありがとうございます。
あつ苦しい男ですみません(笑)。

”俺の中に在り続けるササキカズヤさん”に興味を持った方は、是非、このブログ内の
連載コラムをさかのぼって読んでみて下さい。
「ササキカズヤ・3部作」で俺個人の表現を記させていただいております。

ロックン・ロールは中年を少年にしてくれる!
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次なる夢は、カズヤさんをコッチに呼んで、ライブを実現すること!
夢に向かって今日から新たなる道を!一歩一歩。
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2001年~02年、俺のからっ風は活動休止状態が続き、ある休日、長い修理から帰ってきた当時の愛車”シボレーブレイザー”で、スタンドへ行った。走り寄ってきたスタッフは、偶然にも知り合いだったF君。彼もバンドマンで、ドラマーだった。互いに「あっ!」っていう顔をして、話しこんでいくうちに「互いのバンド復活させ、対バン演ろう」という流れになった。

F君は、ストリートビーツが大好きで・・・もしかしたら”カズヤさんの情報あるかも?”と聞いてみた。カズヤさんは”CMC”というバンドで、バリバリ演っているらしい。「へえ~、CMCか・・・」実は、この頃、俺はすっかり音楽を後回しにしていて、カズヤさんの行方も見失っていた。

戦友「まこやん」が、からっ風に戻った’03年。まこやん情報では10月に「ササキカズヤ祭」があるらしい、しかも「1日だけ風来坊復活!」’03年10月12日、俺とまこやんは、”大塚RED ZONE”を目指した。IMGP0185_convert_20090529111207.jpg


目玉!?であるはずの風来坊・・・なんとトップだった(笑)。エリ足がハネてるパーマ・ヘアーのササキカズヤ(のちに俺も真似してパーマかけた(笑))。ステージを歩き回りながらグレッチをきざみ・・・歌い出した。15年振りだろうか・・・生々しいカズヤさんの歌。言葉のひとつ、ひとつを胸の奥でかみしめるよう聴き入った。「覚えてるかな?」と問いかけ、歌い出したのは、”モノクロ”・・・涙もんです。ラストは大好きな、”うたうたい”だった。IMGP0180_convert_20090529110923.jpg


「C.M.C」「SUB SONIC」と続くカズヤさんのステージ。C.M.Cはすげえー気迫だった。

数日後、「ササキカズヤ祭」でかなりの刺激を受けた俺は、たて続けに2曲、新曲を作った。まこやんに「グレッチ・カズヤ効果だね」とほめられた(笑)。

続く2004年、同、大塚レッドゾーン「ササキカズヤ祭」まこやんと行った。この時は最前列へ行き、カズヤさんに「永遠のうたうたい!」となれなれしく声を発した俺。’89年の頃はウブだったのに(笑)。

2005年に入り、俺は我慢出来ずにカズヤさんと同じ「グレッチ・ランチャー」をシマムラ楽器でオーダーした!手元に来るまで、タカミネの時と同じように2カ月かかった。友達ローンではなくクレジットローンで購入(笑)。

この頃のカズヤさんは自身のHPで、電機工事の会社を立ち上げたと言っていた。カズヤさんのブログは歌と同じ、正直で鋭く、辛口で・・・会社に面接に来た、”今どきの若者の略語批判”や私生活のことなど、随分書かれていた。俺にとっても2005年は、激動の年であった。現在の妻との出会い、からっ風解散、ソロ活動、ストリート、飲食業で独立、結婚と・・・。

時は流れて、カズヤさんは、パンクバンド「C.M.C.」からロックンロールバンド「Jinny」へと進んでいた。追いかけても追いかけても追いつかないカズヤさん・・・スゲエ~よ・・・。

そして、昨年2008年9月Jinnyを体感した。妻も連れて行った(笑)。リーゼントにスイングトップ、リッケンバッカーをかき鳴らし、まるで武士の刀が鋭い「突き」を出してくるかのような言葉・・・。やっぱり世界一だぜ!・・・ササキカズヤ・・・。ジニー


ササキカズヤから学んだこと。
「メジャーもアマチュアも関係ない。やりたいようにやればいい!」
「商売とバンドの両立は過酷だが、出来る!」
「シンプルこそ心に響く」

現在、ササキカズヤはJinny(ソロ活動も再開したらしい)。俺はアオキコウイチ。
病気で頭に穴が開けられちまったが、俺の魂に穴は開いていない。
必ず夢は叶う、俺は信じて今日も馬鹿正直に突っ走る・・・。



風来坊のファーストアルバムのタイトルは「からっ風」。泉谷しげるさんの名曲の中で、俺個人が最も好きな作品が「春のからっ風」。尾崎豊の代表作、”十七歳の地図”で詩の中にも「・・・ちっぽけな俺の心に からっ風が吹いてくる」と出てくる「からっ風」。アオキコウイチの歴史にも記したが、俺は一人「からっ風」と名乗り歌い出した。やっと、オリジナルが2曲仕上がり、何人かの友人の前でためし歌いをして(笑)、「どう?」なんて、甘ったれたことをやっている頃、カズヤさんは、どんどん先へ突き進んでいた。

1990年代に入り日本はバブルがはじけ、”窓際族からリストラ”というキーワードに変わり、海の向こうでは「湾岸戦争」が空を燃やしているというのにまるで他人事。危機感など、これっぽっちもない日本人。戦争で罪なき人々の命や生活が奪われているというのに、日本のTVはトレンディドラマに純愛ブーム。音楽シーンもやたら純愛をテーマにした作品と、応援歌的ポップスがヒットチャート上位を占め、「なぐさめ」だらけ。

そんな日本に初の消費税3%が導入された頃だと思う。風来坊はアルバム「流」をリリース。カズヤさんの魂のメッセージ「うたうたい」は見事、時代を切り裂いた!メンバーチェンジがあったり、ドラマーも加入していたが、相変わらずの”カズヤ節”は炸裂!「ゼロ」「うたうたい」は15年以上たった今も、俺の中ではちっとも色あせない”衝撃の名曲”である。

ザ・モッズが立ち上げたレーベル「スカーフェイス」に、風来坊は所属した。オムニバスアルバムに入ってる「ラスト.トレイン」を聴いて、惚れ惚れしていたのも束の間、風来坊は解散?・・・活動していなかった。ソロになってカズヤさんは、”スタンディング.ワン”で「ざわめきが遠のけば、俺しか居ない」と己の孤独を歌い、ヒデタカさんとアコースティック二本で「それでもさあ・・・この島国は動いてる、揺れてる、何処へ行く?」と叫び、つぶやいた。IMGP0147_convert_20090524123921.jpg


話は戻るが、俺が体感した風来坊のLIVEは、記憶を辿ると古くは、’89年7月の新宿サウンドハウス(今もあるのかなあ?)。対バンは、イカ天初期で名を売った、福田真純だった。この時、ホールには、THE NEWSの青木さんがいた。IMGP0173_convert_20090524124316.jpg
同年8月、上野不忍池。これはイベント的なLIVEだったのかな?多数のrock 'n' roll bandが出演していた。屋外の野音な訳だが、ちゃんと客席があって、俺が座ったすぐ前の列の右斜め前あたりに、なんと!カズヤさんが座って他のバンドのステージを観ていた。何度「一緒に写真撮って下さい」と言おうとしたか・・・。でも、緊張して、声をかけることが出来ず、カズヤさんは本番前のバックステージへ行ってしまった。

俺もカワイイ時あったでしょう(笑)!。まわりの知人たちに、「風来坊も青ちゃん(俺の事)も同じアマチュアじゃん!気軽に声かければ」と言われたが、俺の中で、カズヤさんは、”特別な存在”!そう、いい機会なので、ここに記したいが、「メジャーデビューしてるからスゴイ」とか「売れてるから大物」…俺個人の考えでは違うと思う。逆に言わせてもらえれば、売れっ子芸能人だって同じ人間だ。そう、”特別な存在”とは、”人それぞれの心の中だけに在る者”を云うのではないだろうか・・・。メジャーもインディーズも無名のストリートも、全て同じ表現者である。だから、「俺は芸能人と親戚関係」だとか、「同じ学校だった」とか言う人を・・・「だから何だよ!」と思う(笑)

話はソレたが(笑)、89年秋のインクスティック芝浦、ここはなんか港町の倉庫みたいな所で、カッコイイ、ハコだったという記憶がある。この時の対バンも今考えると、すげえ気合いの入った人たちばかり。”ヒデタカさんのジムノペディア”や”赤と黒”…。確かこの時、生”ゼロ”聴けたと思う。「流」がリリースされる結構前だ。鋭い刃物のようにカズヤさんの言葉が叩きつけられた。帰りの電車の中で(このころはまだ、東北本線と呼ばれてた(笑)宇都宮線)興奮が冷めなかったことを覚えている。IMGP0174_convert_20090524124432.jpg


俺個人にとって、ササキカズヤの何が魅力か…。次回のコラム、「ササキカズヤ・リアル編」につづく。








音楽の世界に足を踏み入れて20年、いや人間を始めて39年と5か月・・・。この男を超える”ロッカー”は、俺の中でこの先、現れることはないだろう。「ササキカズヤ」
1989年6月3日”風来坊”としてTBS深夜番組”イカ天”に出場。和也1


当時俺は、地元割烹料理店で一番下っ端の追い回しとして、毎日叱られ、嫌味をぶつけられ、兄弟子のイジメも受け、板前になんかなるもんか!とイヤイヤ働いていた。クタクタになって帰宅し、6畳1間のアパートで風呂を沸かしてる間、居眠りしてしまう・・・そんな日々。給料は10万円にも満たない、もちろん彼女なんていない、出来ない、ギターなんて部屋の隅っこで埃をかぶったまま…。

風来坊が出演したこの日は、俺好みでないバンド出演のオンパレードで、いいかげん飽きてきて、TVの前でウトウト…。テーブルの上は飲みかけのウーロン茶(実は当時俺は酒を飲まなかった)とセブンスター、食べきれないのに袋をたてに破り開けたポテトチップス…
…あっという間に、本日最後のバンド、エントリーナンバー10番だ。「電気工事の佐々木君と、防水工事の松井君が・・・。・・・アコースティックギターは軟弱だというイメージをうち破ろうと…」このナレーションで半分目が覚める。登場したカズヤさんは、サラサラの金髪に大きめのジャケット姿で「たまに新宿の地下道で歌っている」とインタビューに答えていた。三宅裕司の「お金もらって演ってる人いるよね」に対し、「俺は、ただ歌いたいだけだから」とつぶやいたカズヤさん。この言葉で、まだ演奏も聴いてないのに、俺の心は奪われちまった。

演奏は、ドラムレス3ピース。しかも、アコースティックギター2本とベースという80年代には無かったスタイル。髪を立て、派手な赤地に白抜きの星柄のシャツ。どっからどう見ても、アコースティックギターとアンバランスのファッション(笑)タカミネをアンプで鳴らし、揺れながら独特のキーで言葉を叩きつけるカズヤさん…完璧に俺の目は覚めちまった。カズヤ2


「こりゃあ、パンクだぜ!」あまりにもの衝撃とカズヤさんのかっこ良さに、眠れなくなってしまったのは言うまでもない。

このササキカズヤとの出会いで、(氏は、TVの中だけど(笑))俺の人生は変わった。中学生の時の尾崎豊との出会いを超えてしまった。 

「…まわりに足並みを揃えた人生って、なんてちっぽけなんだろう。」
「俺は今まで何をやっていたんだろう…」

次の日から俺の頭の中は「ササキカズヤ一色」
当時はインターネットなんて無いから調べるのが大変。本屋へ行き、片っぱしからバンド雑誌を細かくチェックしたり、俺はビデオデッキさえ持っていなかったので、(たまたま風来坊が出演した時のイカ天はビデオテープだけ買って、デッキを持ってる友人に録画を頼んでおいた…運命だね...)
仕事の休憩時間に、即効知り合いの家に行き、風来坊だけを何度も観て、曲を覚えた。

どうしてもカズヤさんと同じタカミネが欲しくて楽器屋に問い合わせたら、定価で5万円だった。今でこそ20数万のグレッチを使っているが、5万円は当時の俺にとって高額…。
幼なじみの友人をうまく口説き、毎月1万円づつ返すという約束で5万円借りた。タカミネが手元に来るまで約2か月かかった。人気があったモデルではない。PT-105というエレアコで、これよりPT-106やPT-108の方が人気があった。なのに2か月かかった。単純にあまり売れないから在庫かかえてなかったんだと思う。(笑)

赤いシャツとブラックスリムにラバーソールも買い、なりきり「ササキカズヤ」である(笑)風来坊の代表曲となった「幻影」を何度も歌った。

カズヤさんが「中原中也」を読んでいると知れば、俺も読む。「スタークラブ」が好きと知れば、俺も聴いた…。カズヤさんの職歴で「私立探偵の助手」とあったが、さすがにそこまでは体験しなかった(笑)

が、しかし、カズヤさんになりきったところでただの自己満足、高校生の頃、尾崎豊になりきっていたのと何ら変わりはない。このままじゃ、また同じことの繰り返しで、
一生俺自身を見つけることはできないと、オリジナル造りにペンを持つ日々へと突入…。まずは自分の気持ちの表現をするために、ひたすら
詩、言葉をノートに書きなぐった。とにかく、心のままに書いてみようと…。
無理に自分を意識する必要はない…最初はね...誰かの真似でもいい…作詞作曲なんて経験無いのだから…そう思うと、たくさん言葉が出てきた。アオキコウイチ、若干20歳の時である。とにかく「ササキカズヤ」を夢見ていた。つづく。カズヤ3

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